大西洋奴隷貿易の終焉

現在、大西洋奴隷貿易が廃止された理由として、経済的な理由を重視する学派(Eric Williams, Capitalism and Slavery, 1944)と人道的理由を重視する学派(Seymour Drescher, From Slavery to Freedom, 1999)で、論争が続いている。

18世紀の植民地奴隷制で生産された主な産物は砂糖、コーヒー、タバコ、棉花であった。18世紀末から英国での奴隷貿易廃止にいたるまで、砂糖価格は低下したものの、消費が拡大して、プランターは利益をえていたし、奴隷貿易も有利であったとする説が有力である。しかし、個々の商人、プランターにとって利益があった制度は、必ずしも、経済体制や政治制度にとって、有利であったとはいえない。

イギリスで大西洋奴隷貿易が廃止された1807年以前は、思想でいうと、啓蒙の時代、理性の時代である。18世紀半ばから人口が急増し、1780年代には、イギリスでいわゆる産業革命が始まる。その過程で、人々は各地方への帰属意識を払拭し(日本史的に表現すれば、「脱藩し」)、国家に唯一の信頼を置く体制を作り上げた。そして、19世紀を通じて、国粋主義、個人主義、自由主義、民主主義、社会主義や保守主義、改良・進歩主義など、さまざまな政治思想が開花・定着し、現在の常識が作り出された。奴隷制と奴隷貿易の廃止はその大きな歴史の流れの一コマであるのは、間違いない。

1 奴隷貿易廃止を求める近代思想

2 政治の変化

3 奴隷の反乱

4 奴隷貿易廃止に向けての外交

5 密貿易と取締

6 奴隷制から契約労働へ

年表

1772 サマセット事件判決: 英国に滞在した奴隷の輸出を差し止める判決(主席判事マンスフィールド)

1775 ペンシルヴェニアで廃止協会設立

1776 英国とアメリカのクエイカー教徒が自派内での奴隷解放を求めた

1777 ヴァーモント憲法が奴隷制を非合法化

1778 英国議会: 大西洋奴隷貿易調査委員会設置

1783 クエイカー教徒が英国議会と米国議会に奴隷貿易の停止を求める

1787 ロンドン奴隷貿易廃止協会設立

1788 ドルベン法: 奴隷船の奴隷積み込み量を規制

1788 シエラレオネ会社設立: アフリカに自由黒人の定住地設置

1789 ウィルバーフォースが12の奴隷貿易規制法を動議

1791 ハイチの奴隷反乱

1792 英国下院が奴隷貿易廃止決議。上院で否決された。

1792 デンマークが1803年までに奴隷貿易廃止を決定

1793 ホイットニィの綿繰機発明: 合衆国南部で奴隷制拡大

1794 フランス国民議会: 植民地の奴隷制を非合法化

1802 ナポレオンが1794年法を廃止し、奴隷制再開

1804 ハイチで奴隷制廃止

1806 英国議会: 外国植民地への奴隷貿易廃止

1807 英国議会: 奴隷貿易廃止法制定(1807年5月1日以降)

1807 米国議会: 奴隷貿易廃止(1808年正月以降)

1814 ネーデルラント王国: 奴隷貿易廃止

1815 ナポレオンが奴隷貿易廃止。ブルボン王家はこれを継承。

1815 ウィーン会議: 奴隷貿易が非人道的であると非難

1817 英国がポルトガルとスペインに赤道以北での奴隷貿易を禁止

1819 西アフリカに英国の奴隷貿易廃止艦隊(anti−slave−trade squadron)出動

1823 ロンドン奴隷制度廃止委員会設立

1831 ヴァージニア: ナット・ターナーの反乱

1834−38 英国領で奴隷制廃止

1851 ブラジルへの奴隷貿易が非合法化

1863 リンカーン大統領による奴隷解放宣言

1863 オランダ領植民地で奴隷制廃止

1865 アメリカ合衆国で奴隷制廃止

1867 キューバへの最後の奴隷貿易

1886 キューバで奴隷制廃止

1888 ブラジルで奴隷制廃止

参考文献:

Johannes Postma, The Atlantic Slave Trade, Greenwood Press, 2003; chapter 5 ’The Struggle to end the Atlantic Slave Trade’. (高校・大学の教科書的な本)

Herbert S. Klein, The Atlantic Slave Trade, Cambridge U.P., 1999; chapter 8 ’The End of the Slave Trade’. (最近の四半世紀の研究成果を元にした啓蒙書)