4.1 英国による外交交渉
ナポレオン戦争が終わった1815年、英国政府は奴隷貿易の廃止を各国政府に要請するようになった。
ウィーン会議(Congress of Vienna: 1814−15)では、原則的に、奴隷貿易が非難された。フランスは当初、拒否したが、1815年春、一時的にナポレオンが返り咲いたとき、奴隷貿易が廃止された。
オランダ政府にも、英国は奴隷貿易への関与を止めるよう、外交的圧力をかけた。
1817年7月、英国はポルトガルと奴隷貿易を制限する条約を結んだ。英国は赤道以北の地域の公海で、奴隷運搬の疑いのある船舶を拿捕・捜索する権利をポルトガルに認めさせた。
4.2 アフリカでの活動
アフリカでは、奴隷貿易にかわる手段が探し求められた。そのため、科学的好奇心とあいまって、アフリカ内陸部への調査活動が始まった。
1840〜1857年の間に、英国は西アフリカ諸国と45の条約を締結した。コンゴや東アフリカとも、同様な条約が結ばれた。英国は海岸地域での奴隷貿易の廃止を求めると同時に、内陸部への侵入を正当化した。内陸部での奴隷制廃止が、19世紀後半の占領・植民地化の理由となった。